高校生の時の私が考えていたこと。
- 「夜」:母親が迎えに来てくれたことを書きながら、名前を呼ぶ声と帰る場所について考えた。
- 「草芥」:枯れていく草を見ながら、生きる意味について考えた。
- 「自分と社会」:社会が求める自分とありたい自分との矛盾を書きながら、「私は今でも私なのだろうか」と問いた。(評論寄りの文章だったため、転記していない)
一見すると全く違う話に見える。しかし14年前に書いた文章を読み返して気づいた。私はずっと同じ問いを、違う角度から書き続けていた。
それは、「私はどう生きるのか」という問いだった。
私がこのサイトを作った時には、自分を見失いそうだとうっすら気づいていた。
だから、このサイトのSelfieページにはこう書いている。
世界の変化が速くなるほど、自分という輪郭が曖昧になっていく気がする。
どんな人間で、どうありたくて、何を残したいのか。誰かに届ける前に、まず自分に問い直すための場所として、このサイトを作った。
それでも、ここにある何かが、誰かの心のどこかに触れたなら、それ以上のことはない。
この問いに執着してきた理由は一つではない。
幼少期の家庭環境もあったし、権威との衝突もあった。その中でも大きかったのは、父親から受けた影響だったように思う。
私は父親についてあまり書いてこなかった。けれど父は、私がこれまで出会った人の中でも最も複雑な人だった。
父との記憶は決して多くなくて、その中の一つを今でも覚えている。
小さい頃に病気がちだった私は、よく病院へ連れて行ってもらっていた。その時父はこう言った。
辛くても笑うべきだ。そうしないと心配してくれる人たちも辛くなる。
今振り返れば、それは優しさや気遣いを教える言葉だったのだと思う。
けれど当時の私はもっと単純に受け取っていた。
「自分の苦しさを出すと、他人を不幸にする」と。
だから、私はずっと「人を大事にすること」と「自分を大事にすること」は両立しないものだと思っていた。
誰かを大切にしようとすれば、自分を後回しにしなければならない。そんな感覚がどこかにあった。
難しい環境に置かれるたびに、私は誠実に振る舞えているだろうか、私はどこまで自分を出していいのだろうか、私は本当に人を大事にできているのだろうか、と自分を問い続けていた。
当時はまだ整理できていなかった。頭より先に、体の方が不調という形で反応していたのだと思う。
もしもう一度同じような環境に置かれたとしても、私はきっと儚いものを儚いものとして愛すると思う。
ただ、そこに自分の人生の問いへの答えは求めない。
その方が私にとって自然で、誠実で、きれいな在り方だからだ。
そして、最近気づいたことがある。答えは、14年前の文章の中にすでに書かれていた。
もちろん当時の私は、それを十分には理解していなかった。経験も足りなかった。
「生きる意味」や「自己肯定」や「自分らしさ」といった大きな言葉でしか語れなかった。
それでも、問いそのものは本物だった。
そして少し嬉しかった。
十数年経った今でも、私が好きなものや心を動かされるものは、ほとんど変わっていなかったからだ。
儚いものが好き。光が好き。人を大事にしたい。自分らしく生きたい。生きる意味を考え続ける。
十数年かけてようやく分かったことがある。
自分を大事にすることと、人を大事にすることは、決して対立するものではなかった。
むしろ、自分を見失わないからこそ、人を大切にできるのだと思う。
14年前の私は、そのことをずっと伝えようとしていたのかもしれない。迷っていた私の背中を押してくれた。
私は千尋でも、ハクでもあった。
忘れかけていた、あの川の名前を思い出した。
長い時間をかけて、ようやく小さい頃の自分を抱きしめることができた。