この記事は「夜——14年前に書いた文章の転記」の続きとして書いている。まだ読んでいない方は、先にそちらを読んでもらえると嬉しい。
最近、14年前に高校生の頃に書いた文章を読み返した。母親について書いた文章だ。
感情表現はストレートすぎるし、青臭い言葉も多い。大人の自分ならもう少し控えめに書くだろう。
当時の私は、恋愛小説のような書き出しで始めていた。
彼女は私の名前を呼んでいる、この真っ暗な夜の中で。
今読むと少し気恥ずかしい。
でも読み返しているうちに、不思議な感覚になった。そこに書かれていたものが、驚くほど今の自分と変わっていなかったからだ。
私はずっと、自分が何を求めているのか分からないと思っていた。
仕事で昇格した。社内で表彰された。責任ある仕事も任せてもらえるようになった。
それでも、私の心を最も強く動かしたのは、成果や肩書きではなかった。
2年前に上司から言われた「欧陽らしさを見失っているように見える」という言葉だった。
今振り返ると不思議だ。なぜ私は評価よりも、その言葉を覚えていたのだろう。
最近、人との関わりや昔の文章を読み返す時間を通して、自分について考えることが増えた。その中で気づいたことがある。
私はずっと同じものに惹かれていたのかもしれない。それは恋愛でも承認でもない。「帰る場所」という感覚だった。
私は多分昔からその感覚のそばにいた。14年前の文章にも、何度も同じモチーフが出てくる。夜の家の明かり。名前を呼ぶ声。手を握ること。迎えに来てくれる人。安心して力を抜ける時間。
当時の私は気づいていなかった。でも今なら分かる。「私はここにいていい」という感覚を書いていた。
宮崎駿の『千と千尋の神隠し』が好きだ。最近になって、その理由も少し分かった気がする。
あの物語は冒険の話ではない。名前の話だ。
千尋は湯婆婆に名前を奪われて「千」になる。新しい名前で呼ばれ続けるうちに、自分が誰だったのか少しずつ分からなくなっていく。私にも似た経験がある。生きていくうちに、「欧陽らしさ」「こうきらしさ」がどこにあるのか分からなくなっていた。周りが呼ぶ私の輪郭と、自分が感じている自分のあいだに、静かにずれが生まれていた。
ハクは千尋に「本当の名前を忘れないで」と言った。上司が深夜に送ってくれたメッセージも、大事な人に置いてくれた曲も、同じことを言っていたのだと思う。私の本当の名前を思い出させようとしてくれていた。
千尋は最後、トンネルを振り返らずに歩き抜ける。もう迷わない。自分の名前を知っているから。
私は度々あのトンネルに入っていたかもしれない。でも振り返ると、そのたびに誰かが私の名前を呼んでくれていた。
そして最近ようやく気づいた。本当に必要だったのは、誰かに名前を呼んでもらうことだけではなく、自分自身が自分の名前を忘れないことだった。
結局、私が幸せだと思うものは昔から変わっていない。光の差し込む部屋。大切な人との会話。一緒に歩く時間。名前を呼ばれること。そして、自分らしくいられること。
遠回りしたけれど、私はようやく自分が何を大切にして生きてきたのか分かった気がする。
私はずっと帰る場所を探していたのではない。
帰る場所の大切さを、ずっと知っていたのだ。