私の身長がお母さんを超えたのは、もう十数年前のことだ。

いつからか、手を握るときも、支えられる側ではなく、支える側になっていた。

私はずっと手について書いてきた。

十四年前に書いた文章にも、写真にも、同じ手が写っている。


一番最初の手は、お母さんの手だった。

団地の街灯は暗くて、入り口に着くたびに電話をかけた。

「着いたよ。」

そう言うと、お母さんが迎えに来てくれた。

夜の中で名前を呼ばれて、駆け寄って、手を握る。

小さくて、柔らかい。でも、不思議と安心する手だった。

真夜中、問題が解けなくなると、私は壁を叩いた。

薄い壁の向こうから返ってきたのは、いつも同じ言葉だった。

「何か食べる?」

私は、お母さんに「愛している」と言ったことがない。

手を握ることしか、できなかった。


十六歳の頃、浴室の窓辺で草を育てていた。

毎朝、水を一杯注いだ。

夏の終わりに、草は枯れた。

「この一杯の水は、あなた自身が汲み上げるしかなく、誰も代わりに汲むことはできない。」

あの頃の私は、その水を「生きる意味」と呼んでいた。

それからずっと、私は水を汲み続けてきた。

文章を書く手で。

シャッターを切る手で。

消えていく光を、残そうとする手で。


誰かの手を握って、その人の力になれると信じてきた。

でも、その「誰か」の中に、自分だけはいなかった。

手は、指を組むことはできても、誰かの手を握るようには、自分の手を握れない。

最初から、そういうかたちにはできていない。

だから、それは欠けではなかった。

母の手も。

壁の向こうから聞こえた声も。

誰かに差しかけた傘も。

手というものは、いつも誰かとのあいだでしか意味を持たなかった。


人に頼ることが苦手だった。

でも今は、それは大げさなことではなかったのだと思う。

ただ、自分の手を誰かに握らせる。

それだけのことだった。


一つだけ、例外がある。

時間を越えるときだけ、人は自分の手を握れる。

「寂しい」と言えなかった、小さな私。

その子の手に、今の私の手は届く。

そして、この半年、一人で抱え続けてきた私にも。

辛かったよな。

そう言って、手を握るところから始めようと思う。