いつも梅雨の季節になると、故郷のことを思い出す。

私は湖と川の多い地域で生まれ育った。

チベット高原から上海へと流れる長江も故郷の土地を横断しており、小さい頃にはよくその長江で水遊びをしていた。

毎年の梅雨はとても長かったが、私はその湿った空気がずっと好きだった。


高校生の頃、私はよく窓際の席を選んで座り、窓の外でしとしとと降る雨を眺めていた。

当時の私は授業をまともに聞かず、イヤホンを袖の中にそっと隠し、手で頭を支えるポーズをしながら、耳に音楽を流し込んでいた。

窓の外で降り続く雨を眺めながら、「あと何時間の授業を受ければいいんだろう」「この高校生活はいつ終わるのだろう」とそんなことばかり考えていた。

あの頃の私はまだ知らなかった。

窓の外で降りしきるその雨が、すべての出来事へのカウントダウンだったということを。


大学受験のときも、梅雨の季節だった。

試験が終わり、賃貸アパートの小さなベッドに寝転んでダラダラしていた。

両親は、いつ部屋を引き払って実家に帰るかを話し合っていた。

ふと窓の外を見ると、空はうっすらと暗くなり始め、空気の中には湿った土の匂いが漂っていた。

私はあの部屋がとても好きだった。狭くて古かったけれど、私の部屋には大きなベランダがあって、窓を開けると、雨が窓の縁を叩く音が心地よく響いていた。

友人から「試験の手応えはどうだった?」とメールが届き、私は「まあまあかな、どこかしら行く大学はあるよ」と返事をした。

次の月曜日になれば、またみんなで集まって、テストの答え合わせや間違えた問題についてあーだこーだと話し合うのだろう。そして間違えた問題をノートに書き写し、それから一緒にご飯を食べたり、一緒に家に帰ったりするのだろう。

私はずっと、そんな風に思っていた。

けれど、あの一切合切の日常は、あの梅雨の季節の終わりとともに、すべて過ぎ去ってしまったようだった。


私の友だちの多くは地元の大学に残ったが、私は北京へ行くことを選んだ。

北京では現地の友人がたくさんできたし、北京特有の黄砂や大吹雪も経験した。

けれど、北京には梅雨がない。一年を通して湿度が低く、私の故郷のような、まるでサウナの中にいるような夏はどこにもなかった。

北京の夏は格段に過ごしやすく、木陰に入ればそれほど暑さを感じないし、夜になればとても涼しかった。

北京にいた頃、私は自転車に乗るのが好きになった。夜風が頬をなでる感覚が、私に自由を感じさせてくれた。

故郷から離れた間、多くのものを手に入れた。けれど同時に、大切な何かを失ってしまったような気もしていた。


その後、私はさらにいくつもの街で暮らした。

うだるように暑い夏がある街もあれば、故郷よりもいっそう青々とした緑を濡らす、豊かな梅雨がある街もあった。

それでも、雨水が土を叩いて立ち上るあの匂いを嗅ぐたびに、私は今でも故郷の雨を思い出す。

窓際に座って途切れることなく降り続く雨を見つめながら、イヤホンから流れる恋の歌や思い出の歌に、こっそりと耳を傾けていたあの頃を、私は今でも思い出すのだ。

※ こちらは2016年にSNSに投稿したもので、写真は実家の寝室から撮った景色だった。